【S.I.D.E. / Side Effects】リサーチ・レポート(朱鞠内湖, 2022年8月)

2023/08/24

「島探しに行くから来なよ」
と、SIAFラボの平川紀道さんが言っていたのは初夏のころだったと思う。
何を言っているかわからなかったが、そんな謎の誘い文句に乗ってみるのも面白いかもと、私は軽い気持ちで北海道に行くことに決めた。

札幌国際芸術祭のSIAFラボでは、デーヴィッド・チュードアによる孤島を楽器化するという未完の作品構想《Island Eye Island Ear》を、北海道の島で実現しようというプロジェクト(Side Effect 2022-2024)が進行している。
「島探し」とは、そのプロジェクトに適した舞台の候補となっている孤島の一つを、実際に見に行く旅のことだ、ということを後から知った。

この旅に同行したときの日記のような文章をここに書こうと思う。

 

〈一日目:朱鞠内湖〉

 

8月24日、朝の7時から平川さんの車に乗せてもらい、札幌から北へと向かった。
目的地は、北海道雨竜郡幌加内町にある、朱鞠内湖に浮かぶいくつかの島だ。SIAFラボはこの無人島がこのプロジェクトに相応しいのではないかという仮説を立てていた。
3時間程走ったところで、砂利の中に車が停まった。
車から出ると、天気は穏やかな晴れで、目の前には森に囲まれて湖が広がっていた。水面は広く凪いでいる。釣りスポットらしく、何人かテントを張ったり釣りをしている人たちがいた。聞くと、この湖にはイトウがいるらしい。人の名前みたいだなとぼんやりと思う。
はじめにSIAF事務局マネージャーの漆崇博さん、SIAFラボの船戸大輔さん、私を乗せた平川さんの車が到着し、4人で釣りをして待っていると(このために早朝から出発したらしい)、アーティスティック・リサーチャーという肩書きでプロジェクトに参加している中井悠さん、同じくキュレトリアル・リサーチャーとして参加している明貫紘子さん、記録映像を担当している映像作家の仲本拡史さん、SIAFラボ研究員の清水康志さんが合流した。
メンバーが揃ったところで、ミーティングを兼ねたBBQが始まった。漆さんが用意してくれたいろいろな食材を食べながら話す。肉や貝を焼いたり、ポトフとラーメンを混ぜたりしていて、皆楽しそうだった。

食事と作戦会議を済ませると、私たちは湖の貸しボートを借りて、いざ島に向かった。
2、3人ずつに分かれてボートに乗り込む。私は船戸さんとボートに乗り込み、湖に漕ぎ出した。船戸さんのオール捌きは完璧で、ボートを意のままに操っていた。無駄のない動きで水を掻いてゆく。
朱鞠内湖の水は暗く静かだった。上から眺めていてもどの深さまで水があるのかわからない。
余談だが、私は海や川などの大きくて暗い水が怖い。幼少期を過酷な海沿いで過ごしたせいか、果てしなく続く海を見ると自分の一部が奪われるような恐怖の感覚を覚える。
そういうわけで、朱鞠内湖の上をボートで渡ると聞いたとき、絶対に怖いはずだと、かなり怖じ気づいていたが、湖の水に対しては不思議と恐怖を感じなかった。暗くて底が見えないからじゃない?と誰かに言われたが、そんな些細なことで恐怖が消えるものなのか疑問だった。

しばらくボートを漕いでもらい、ついに目的の島に上陸した。そこは狭い岸辺のある林で、波打ち際は赤茶色で粘土質の小粒の土が静かに積もっていた。澄んだ水に沈んでいる土の、くっきりとした輪郭。
そこらじゅうの岩や古くて枯れた木のあいだには、幼木が何本も生えていて、それは大人の木がかつて一粒の種だったこと、それがこれから長い年月をかけて成木になっていくことを感じさせる。私はそれらを傷つけないよう、はらはらしながら進んだ。
漆さんと平川さんは岸辺を見ながら、「ここにスピーカーがあったらアガるよね」などと話していた。草むらのなかに突如現れるスピーカーと、きらきらと日光を反射させる水面の近くで、スピーカーによって増幅された環境音が流れている様子を想像すると、確かに楽しそうな気がした。

続いて、さらに島の内部へ踏み入っていくと、木と草だらけだった。獣道などもなく、肩に届きそうな草むらの中をかき分けながら進む。
そういえば日常の中では、道のない草むらの中を進むことはあまりないなと思う。
人がたくさんいる場所では、その歩みにあわせて自然と道ができる。私たちは今、人間のいない場所に踏み込んでいるのだと気づく。ふと後ろを振り返る。ひとりで来ていたら迷っているが、しかし躊躇いなく進んでいけるのは、自分がいる場所を、後ろに続く人たちとの位置関係の中で把握しているからだ。一人一人がお互いの位置を記憶しあう。集団の中で機能する器官となって森を進む。
なんだかこの集団が一つの生き物のように思えてきた。
島を調査するいきもの。私たちはこの島にとって、何なのだろう。

島の斜面を登るようにして進むと、倒木の周りに草の生え方がおとなしくなっている場所があった。開けた場所もあるんだね、と誰かが言った。
突然だけれど、家は、使わない部屋があっても、できるだけ広い方がいい。空いた空間には、お気に入りの本だけを集めた本棚や、果実を漬け瓶や、旅先の海で集めた砂を並べたりしたい。
SIAFラボは、この広い場所に何を並べるのだろう。島を調査するいきものは、この場所を気に入るだろうか。ここでどう暮らし、客人には何を見せるだろう。想像が膨らむ。
チュードアやその構想のことは何も知らずにここまで来たが、実際に孤島を探索していると、島を丸ごと楽器化するという構想が、現実味を帯びて立ち現れてきた。

私たちはとりあえず岸に沿って島を一周してみることにした。
釣りに使うウェーダーを穿いているので水に入っても平気だった。
湖の中をばしゃばしゃと歩いたり、透き通った水が歩みに合わせてうねるのを眺めたりして遊んだ。湖の水には流れがないため、踏み出した足に押され、水は力なくゆらゆら動いた。優しく友好的。海や川の水と違って、湖の水が怖くない理由はそこかもしれない。

しばらく歩いて、そろそろ島を一周できるというところで、先を行っていた人たちが立ち止まった。見ると、そこで岸が途絶えていた。島の輪郭の一部が切り立った急な斜面になっていたのだ。これ以上は進めない。庭の奥で育てていた果実が、収穫間際に、たまにしか来ない鳥に食べられてしまったときのような気持ち。
斜面に面する湖の向こうには、最初に乗り着けた岸とボートが見えた。あと一歩のところだったが、私たちは諦めて来た道を引き返すことにした。

ぐるりと反対に島を回りながら、最初の岸に戻ったところで、ボートを返さなければいけない時間が迫ってきたため、急いで湖を渡って戻り、この日は解散となった。

 

〈二日目:雨龍研究林〉

 

朱鞠内湖に隣接して、雨龍研究林という北海道大学の研究林がある。
二日目は、そこで林長をされている、北海道大学の中路達郎先生に、雨龍研究林を案内していただく予定になっていた。
私は、研究林でどのような話を聞けるのか、研究林とはそもそもなんなのか、何も知らずについていった。

昼からの約束だったので、私たちは朝早くから朱鞠内湖に戻り、今度は全員で釣りをして、約束の時間ぴったりに雨龍研究林に到着した。ここで北海道大学CoSTEPの奥本素子さん、大内田美沙紀さん、フィールド科学センターの林忠一さんとも合流し、少しすると研究林のログハウス風の建物から中路先生が出てきた。
八月の陽気につつまれた和やかな雰囲気で、皆で軽く自己紹介をしあった。先生は私たちについて来るように言って、車を走らせた。私たちはそれぞれの車で先生の車を追いかけた。研究林に続く閉ざされたゲートを開けてもらい、舗装されていない道に入っていく。
最近降った雨で所々に水溜りが出来ていて、車で通るたびに茶色い水飛沫が盛大に上がった。
私はそれに構わず車の窓を全開にした。風が頬に当たって気持ちがよかった。

しばらく走って車が停められた。降りると、たくさんのひとに踏まれた風情の下草と、眼下に広がる眺めで、開けた高台に出たことがわかる。
この研究林は原生林らしいが、原生林という言葉を聞いて私が想像していたのは、もっと鬱蒼としていて神秘的な雰囲気のジャングルだった。しかし、私たちが案内していただいた場所は道幅がかなり広く、ハイキングロードのようでもあり、想像とのギャップに驚いた。
私たちは先生のお話を聞きながら興味深いハイキングを続けた。

先生について歩いていると、急に、目の前に鹿が現れた。私は野生の鹿を初めて見たので嬉しい気持ちになった。鹿は私たちの道の先に立ってこちらを見ている。
鹿は急に現れた大勢の人間を前に耳をピンと立て、驚いたふうにしている。私たちが近づくと、バネのような動きで飛び歩きながら、遠ざかっては振り返りを繰り返し、離れていった。人間たちの方は鹿が現れてもあまり驚いていなかったので、北海道の人たちは鹿に慣れているんだなと密かに思った。
朱鞠内湖の島ではこういった出会いはなかったが、あの島にはどんな動物が住んでいるのだろうか。

先生は、二か所の川を案内してくださった。
最初に、昔ながらの手法を使い丸太で橋を架けたという場所を見せていただいた。大きくて重そうな丸太を組み合わせてある。この橋に使われている丸太は、表面を炙ることで腐食を防いでいるそうだ。結構長く持つらしい。その下を川が流れていた。丸太で作られた橋の上を車で通ったが、もちろんびくともしない…。
次に、自然の構造物を使って川の氾濫を防ぐような研究をしている場所を見せていただいた。その川にされた様々な工夫のうちに、増水に備えて、地下に構造物を埋め込み、川底から複数の杭が二重の線状に突き出ているという場所がある。川が増水し氾濫しそうになると、一部の水の流れが、この杭によってもとの本流の方向に変わるという。地面からほんのすこし突き出た杭でそんなに大きなことができるのか信じられなかった。できるなら雨が降って増水しているところを見てみたい気持ちになった。

見せていただいた架橋や川の氾濫を防ぐ工夫は、雨龍研究林の真ん中を流れるブトカマベツ川との共存を目指したプロジェクトとして行われているそうだ。
雨龍研究林では原生林と人がうまく共存しているようにみえたが、《Island Eye Island Ear》が実現されるとき、どのように自然と共存していく(または、しない)のだろうか。

先生には他にも色々な話をしていただき、同行したメンバーはたくさんの質問をしていて、話が尽きなかった。
そして約束の時間いっぱいまで、私たちは森の中で話していたのだった。

 

こうして、「島探し」の旅は終わり、私たちは帰路についた。

今回、私はこの旅の傍観者だったわけだが、SIAFラボのメンバーと行動を共にするうちに、この人達が何を考え、どのようにプロジェクトを実現しようとしているか、わずかだが垣間見られたような気がする。

プロジェクトの公開は2024年を目指しているそうだ。SIAFラボでは、まだこれからも、他に適当な島がないか探しに行くらしい。

良い島が見つかるといいなと思う。

(文:岡本 七)

 

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