サイド・プロジェクト・レポート(2022年2月) - 明貫 紘子

2022/06/04

202226日:富山と北方領土

札幌行きが近づいていた数日前に、新聞を読んでいると「北方領土の元島民 富山に多いその理由は?」という見出しの記事が目に止まった。私が住む石川県のお隣の富山県と北方領土の意外なつながりを初めて知った。「2月7日は日本政府が定める『北方領土の日』。今から167年前のまさにこの日、日露通好条約(1855年)が結ばれ、北方四島が日本領になった。」と始まる記事には、北方領土は重要な出稼ぎ先であったことや引揚者が北海道に継いで2番目に多いことが書かれていた。黒部市に北方領土問題を啓発する施設があるというので、札幌から戻ったらぜひ行ってみたいと思った。

富山県北方領土史料室
https://www.city.kurobe.toyama.jp/contents/hopporyoudo/index.html

 

202229日:中動態の映像学

札幌入りの直前、せんだいメディアテークが開設した「3がつ11にちをわすれないためにセンター」が収集する、映像作家や市民らによる東日本大震災にまつわる映像記録に関する鼎談を収録するために仙台市に数日間滞在した。この鼎談は、主に映像記録(99本4494分)を数ヶ月かけて閲覧した3名がその経験について話すというものであった。それぞれの動機に突き動かされた映像制作者たちは、多くの場合、その思いと阻むかのようなより大きな事態を目の当たりにしてとまどう。当事者でもあり傍観者でもあり、積極的もあり受身でもあるという、その立ち位置や目的が定まらないゆらぎのようなものが映像に投射されている。いわゆる作り込まれた映像やアートのマナーに慣れきっていた私にとって、見たことのない新しい映像言語を受け取る方法を模索する旅でもあった。そんなモヤモヤを抱えていたところ、せんだいメディアテークのショップで、青山太郎著『中動態の映像学:東日本大震災と記録する作家たちの生成変化』(堀之内出版、2022年)を見つけて購入した。

翌日、仙台空港から札幌へ向かうフライトの待ち時間、3.11の津波被害を受けた三陸沿岸部に暮らす人々の対話をもとに制作された「東北記録映画三部作」シリーズを監督した濱口竜介氏の作品『ドライブ・マイ・カー』が米国アカデミー賞にノミネートしたという新聞記事を読んだ。

 


青山太郎著『中動態の映像学:東日本大震災と記録する作家たちの生成変化』(堀之内出版、2022年)

https://info1103.stores.jp/items/61cc0b291dca321edaeb8ba9

 

2022210日:仙台から飛行機で

乗り鉄の友人から、こんな機会は滅多にないから仙台から札幌まで陸路で行くことを勧められていたが、チケットを手配する段階で、芸術祭事務局の小澤さんから雪で電車が止まる可能性があるからと空路に変更した。結局、記録的な大雪のためJR北海道のほとんどの電車が止まり、私が札幌千歳空港に到着した日に、ようやく空港と札幌市内をつなぐ電車が再開したという状況であった。小澤さんの的確なアドバイスに感謝しつつ札幌駅からタクシーでホテルに向かう時、積雪に加えていき届いた除雪のため、高く積み上がった雪の壁に囲まれた格子状の道路のVR感が印象に残った。大雪で東京―札幌間の飛行機のダイヤが乱れており、今回、プロジェクトを外部メンバーとして一緒に進める中井悠さんが来られるかどうかを心配しながら、移動時間や空き時間は中井さんからご提供いただいたIEIEに関する資料をひたすら読んでいた。

札幌入りした日の夕方にSIAFラボのメンバーでアーティストの平川さんが家族でホテルまで迎えに来てくれた。SIAF ラボの拠点がある札幌市資料館に連れていってもらう車中で北海道の方言の特徴について聞いたところ「中動態」的な表現があることを聞いて、本『中動態の映像学』との出会いとシンクロしていて面白いな、と思った。札幌市資料館で、中井さんの到着を待っている間、室内にあった本『札幌の街並』をパラパラ見ていたら、札幌における昭和時代の都市開発は東京と同レベルを目標にしていたことが伝わってきた。その象徴的なエピソードの一つとして百貨店の写真が掲載されていたことが印象に残っている。東京を中心に考えた場合、空からのアクセスが便利な地方都市といえば福岡と札幌で、それ以外の電車や車などインフラ次第で地方都市との距離感が物理的にも気持ち的にも変化してきたことを考えた。そういう意味で、私が住んでいる石川県はどこへ行くのも遠かった時代が長いが、海運がメインだった時代、本島西側の地方都市から見た北海道はどれくらいの距離感だったのだろうか。

 

2022211日:中谷宇吉郎の研究室

中谷宇吉郎は、彼の出身地である加賀市と移住者の私を結びつけてくれている。というのも、個人的に発行しているファンZine「イグアノドン」は、中谷宇吉郎と弟で考古学者の治宇二郎、そして次女でアーティストの中谷芙二子さんにちなんで、「アート&サイエンス、そして温泉文化」をテーマにしている。ささやかなミニコミ誌を編集するプロセスは加賀市にまつわる資料や歴史を再編集して届ける作業でもある。この活動がきっけにもなり、札幌を訪れる1ヶ月前には、オーストリアのスキーメーカーのFischerが企画して加賀市で開催されたトークイベント「中谷宇吉郎・雪の教室 - 雪とスキー道具 」に登壇した。そこでは、北海道大学の名誉教授で中谷宇吉郎雪の科学館館長でもある古川先生が札幌市からリモートで参加され、中谷が実験のために使ったスキー板について言及していた。

そのような経緯もあり、私は中谷が暮らした札幌や北海道大学に対して憧れを抱いていた。そして、念願だった北海道大学の中谷研究室を訪ねて、Zineに掲載した「雪の結晶一般分類図」の原本やその作画に使ったであろう道具、そしてスキー板を実際に見ることができて、彼の研究する心に少し触れることができたようで嬉しかった。また、中谷は岩波映画の創設者として知られるが、彼が撮影した実験映像を含むフィルムアーカイブ室を見学した。これらのフィルムが全てデジタル化されアクセスできるようになる日が来てほしい。

 

 

2022211日:排雪と雪の裂け目

モエレ沼公園の訪問は二度目だったが、前回は雪がなかった。平川さんの車で公園に向かう途中で、トラックに雪が山盛りになっているのを見て、雪を運ぶ必要があるということが思いつかずに驚いた。さらに、「排雪」という漢字を知らなかったので、会話で「ハイセツ」と聞いたときに混乱した。ちなみに、石川県では「融雪装置」や「消雪管」と呼ばれる水で雪を溶かすシステムが主流だ。北海道では「除雪」と区別して、雪を別の場所へ移動させることを「排雪」と呼び、雪が集められる場所を「雪堆積場(ユキタイセキジョウ)」と呼ぶ。

到着したモエレ沼公園では、ソリやノルディックウォーキングなど冬季ならではのアクティビティで賑わっており市民に愛されていることが伝わってきた。公園施設でソリができるのは北海道ならではだろうか。一方、展示室は比較的人がまばらで、ゆっくり見学しつつ、学芸員の宮井さんの解説でイサム・ノグチが公園を設計したプロセスなどを知ることができた。今回の滞在はIEIEが実現できそうな島を探すフィールドワークでもあったが、ここで、モエレ沼公園が川に囲まれた中洲に位置していることを知る。将来、もしかしたら「島」になるかもしれない場所もアリなのでは?という冗談のような本気なような提案も出た。

展示室の見学のあと屋外の公園を散歩していると、公園内に作られた丘の頂上付近に、ルーチョ・フォンタナのナイフでキャンパスを縦に裂いた作品を想起させるような亀裂があり、真っ白な雪の隙間から土が見えていた。公園関係者は開園以来見たことがない初めての景色だと言っていたが、どのような気象状況だとあのような現象が起きるのか知りたいと思った。

 


 

2022212日:自然と技術

雪道の歩行には慣れていると自負していたが、不覚にも朝、路上で転んでしまった。でも、久しぶりにコケた自分が愉快でもあり、かつて、両親から雪道の歩き方を教えられたことをなつかしく思い出したりもした。

この日は、白老町にあるウポポイの見学とSIAFラボがプロジェクトのフィールドにしている支笏湖の見学を予定しており、2時間弱ぐらいの車の移動になる。全3台の車でそれぞれ目的地に向い、私は平川さんが運転する車に寝不足の中井さんと同乗した。滞在スケジュールがタイトなので、今後の計画や翌日のイベントのことなど話す時間を捻出するために道中、それぞれの車をスマホのzoomで結んで話そうということになった。大自然が広がる車窓の風景を眺めながら、電波が途切れたりディレイが生じたりする状況も含めて面白い会議であった。今回の滞在では札幌チームと密に一緒に行動していたので、ちょっとした隙間や食事の時間に交わされた会話が貴重であった。とりわけ食事はいつも楽しみで、漆さんはじめ札幌在住のメンバーの計らいで美味しく興味深く堪能できた。事後エピソードとして、今回の滞在後に娘と一緒にアニメ「ゴールデンカムイ」を一気見して、アイヌ文化を少し垣間みることができた。娘はとりわけ、主人公でアイヌの子供であるアシリパの料理シーンがお気に入りになり、魚や肉で「チタタプ」の真似事をしてみたり、「ヒンナ、ヒンナだね」と言い合ったりしている。

ウポポイ見学の後に支笏湖へ向かう途中に何度か鹿を見かけた。鹿との交通事故が深刻であることを聞いて、うちの近所のスーパーにクマが侵入して最終的に射殺されたことを思い出した。自然と都市の接近は思わぬ事故を引き起こす。また、移動中によく出た話題はメンバーによる釣りやキャンプにまつわることだった。支笏湖のプロジェクトも釣りでよく訪れていた縁もあって始まったようだ。趣味と仕事を兼ね備えているとも言えるが、食べ物をとったり、その食べ物が生息しているフィールドをテクノロジーを駆使しながら探索して理解することは、人の営みとして根源的で生きていくうで不可欠な活動のようにも思えた。無論、釣りやキャンプも装備や安全確認を怠ると命にかかわる。そのようなことを想像して支笏湖を目の前にしたとき、私は少し緊張感を抱いた。

雪がちらつき、防寒着に付着した雪の結晶が肉眼で見えるか観察していると、金沢の友人から「中谷宇吉郎 雪の科学館」へ来ているけど会えないかというショートメッセージを受け取とった。中谷が「天から送られた手紙」と表現した雪の写真を支笏湖から返信した。

 

 

2022213日:中道

午後から開催されるトークイベントの前に、展覧会「都市と自然とデータとかたち」を見学した。複数の展示作品に共通した「観察」と「俯瞰」する視点が興味深かった。前者は自然科学者のような視点で後者はアーキビストのような視点だと感じた。トークではアートかアートでないか、基礎研究か応用研究といった議論もあったが、結果的に既存のどの領域にもはっきり属することができない中道的な活動や展示のあり方について共有されたように思う。

同じ豪雪地域の住人として、GPSが設置された除雪車の軌跡を興味深く鑑賞した。ここで提示された軌跡データは札幌市の除雪車の軌跡なので、市道が浮かび上がってくる。当然ながら市道に面して住んでいる人だけではないので、県道は県が手配する除雪車を待ち、それ以外の私道や除雪車が来ない狭い道は、住民が個人や自治会レベルで手分けして除雪する風景が浮かんだからだ。除雪車のGPSデータや排雪所のタイムラプス画像は思いがけず、雪国に住む地域の政治的側面や、さらに土建国家と呼ばれる日本の社会・経済構造も想起させる。

全4時間ほどのトークの内容はアーカイブ映像で全て閲覧できるので、ぜひ1.5倍速でもいいので見てほしい。

 

 

その後:by-products(副作用)

私が所属する映像ワークショップでは、加賀市の限界集落地の地域資料を収集・デジタル化するアーカイブを実施している。山奥で豪雪地域にある集落では、林業や炭づくりが生業であったが、多くの限界集落地がそうであったように、職を求めて移住が進み人口が減っていった。そのなかで、いくつかの世帯が北海道へ移住しており、その親戚らと交流が今でも続いているという。毎年、この集落で大火があった日に鎮火祭が開催されており、そこで設けられた茶席で、函館の丸山園茶舗が作った抹茶「五稜の白」をいただいた。抹茶をつくるお店といえば京都や奈良という思い込みが覆った。太平洋側にある茶葉の産地から北を経由して日本海側の山奥へやってきた抹茶が象徴するように、脱中心的な視点で人と文化の流れや循環を俯瞰しながら、自身が住む地方から北海道やIEIEに関連する国際的なフィールドとの接続についてもby-products(副作用)として考えていきたい。

 


丸山園茶舗の抹茶「五稜の白」

author: 明貫 紘子

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